PROJECTS
超速ゼニゴケ工学 ―光エネルギーを利用できる合成生物学のプラットフォーム化
石崎 公庸 理学研究科 教授 Kimitsune ISHIZAKI Professor
水谷 正治 農学研究科 教授 Masaharu MIZUTANI Professor
基礎研究から明らかになったゼニゴケがもつ特性
⽯崎教授(左)と⽔⾕教授(右)
ゼニゴケ葉状体
地球の歴史上、陸上に⽣物が棲むようになったのは約5億年前で、はじめて陸上に進出したのが藻類の仲間から進化した植物だと⾔われている。陸上に進出した植物から最初に分岐し、陸上植物の共通祖先に近い体制をもっているのがコケ植物で、タイ類・セン類・ツノゴケ類の3つに分類されるうち、ゼニゴケはタイ類に属する。コケ植物は、被⼦植物のように花を咲かせることはなく、根や茎や葉といった区別をもたない単純な体をもつ。しかし最近の基礎研究によって、コケ植物も、被⼦植物で花を咲かせたり葉や根を作ったりするために必要な遺伝⼦と同じ種類の遺伝⼦を持っているということが明らかになってきた。さらに、代謝や環境応答に必要な遺伝⼦のほとんどがコケ植物に備わっており、しかもそれが⾮常にシンプルな形であるということが分かっている。⽯崎教授のゼニゴケ研究は、⾒た⽬には花を咲かせるような植物とは全く異なるが、最初に陸上に進出した植物の親戚であるゼニゴケが、どのようなしくみをもって地上で⽣存しているのかということを調べることを⽬的として、実験モデルとしての基盤を整備することから始まった。2017年には、植物代謝⽣化学を専⾨とする⽔⾕教授を含む国内外の多くの研究者との共同で進めていたゼニゴケの全ゲノム解読が完了した。ゼニゴケがもつ遺伝⼦を全て調べ、いろいろな植物との⽐較を⾏った結果、オーキシンなどの植物ホルモンや、セルロースなど細胞壁成分を合成するしくみを、きわめてシンプルな形で持っていることが明らかになった。
ゼニゴケは2万種ほどあるコケ植物の中でも成⻑が⾮常に速く、⼈家の近くで⼿に⼊り易いため、古くから実験材料として使われてきた。さらに実験室の条件下で交配・培養しやすいことに加えて、全ゲノムの解読も完了し、簡便かつ⾼効率な外来の遺伝⼦を導⼊する形質転換技術も確立され遺伝⼦の改変も簡単である。また、植物ホルモンなどを使わなくてもすぐに再⽣し、増殖能⼒が極めて⾼いため、カーボンニュートラル(CN)の視点からも能⼒が⾼く、⾮常にフレキシブルな培養系も構築できる点においてもすぐれているのだ。
超速ゼニゴケ工学への応用
⽯崎教授は、これまでの基礎研究によってゼニゴケでの効率が⾼い形質転換やゲノム編集の⽅法を開発してきた。ゼニゴケが持つこの特質をものづくりに応⽤する可能性に着⽬した⽔⾕教授との学内共同研究から始まったのが超速ゼニゴケ⼯学研究だ。ゼニゴケのもつきわめて速い遺伝⼦改変技術と、培養のしやすさに加え、作物や藻類にはないゼニゴケ独⾃の代謝系も⼤きな利点となる。たとえばイネなどで遺伝⼦組み換えをするとなると、⼊れる遺伝⼦はせいぜい1つか2つであり、しかも年単位での時間がかかる。⼀⽅ゼニゴケの場合は4つほどの遺伝⼦をひと⽉程度で⼊れられるといい、合成⽣物学においても画期的なことだ。光エネルギーによってCO2を固定しながら、⼈々に役⽴つものをどんどん作っていけるということは、SDGsやCNにも貢献するポテンシャルがあり、⽯崎教授・⽔⾕教授は⾼付加価値化合物を効率よく⽣産するスーパーゼニゴケ品種をつくっていこうという研究を進めている。
酵⺟や⼤腸菌などの微⽣物は簡単にいろいろなものづくりに使えるということでバイオものづくりが進められているが、植物ではできないと⾔われていた。基礎研究がほとんどであるゼニゴケ研究を産業利⽤の観点から応⽤しようという超速ゼニゴケ⼯学は、まさに神⼾⼤学オリジナルといえる。現在⽯崎教授、⽔⾕教授は、超速ゼニゴケ⼯学を⼤学発ベンチャーとして⽣産技術開発と⽣産物の事業化を⽬指し、遺伝⼦組み換えによってゼニゴケからDHAやEPAといった⻑鎖不飽和脂肪酸を量産するための技術研究に取り組んでいる。
産業利用、宇宙利用への可能性と社会実装
ゼニゴケは畑のように⼟は要らないが、常に湿った環境があると⽣育しやすいことから、コケに最適化された気相栽培技術を開発すれば、⽔を⼤幅に節約した栽培ができる。宇宙で植物を育てるというプロジェクトはさまざまあるが、⽯崎教授、⽔⾕教授は、普通の植物と違い、植物体全体がそのまま資源化できるゼニゴケは宇宙での栽培にも向いていると考えている。さらに、苦みが強い「油体」を除いた⾷⽤ゼニゴケを開発するなど、さらなる産業利⽤や宇宙利⽤に使える材料としての展開を⾒据えている。
光エネルギーだけで培養できるゼニゴケは、SDGs、カーボンニュートラルの視点からも⾮常に有⽤だ。今後は、⼤量栽培の技術確⽴が⼤きな⽬標だという。植物⼯場に詳しい農学研究者や、ゼニゴケ培養に適したドライフォグ技術を研究開発している企業などともコラボレーションし、量産のためのプラント構築にどの程度の投資が必要なのかということも検討しながら、実証研究に取り組んでいる。